[2011/12/18]野尻選手が力走。第一生命9年ぶりV/全日本実業団女子駅伝
第31回全日本実業団女子駅伝が18日、宮城県松島町から仙台市陸上競技場までの6区間42.195㎞であり、第一生命が2時間17分17秒で9年ぶり2度目の優勝を飾った。1区のエース尾崎好美でトップに立ち一度も先頭を譲らず、2位のパナソニックに58秒差をつける快勝だった。富山市出身で世界選手権マラソン代表の野尻あずさ選手が5区(10㎞)を走ってチームに貢献した。
今年は岐阜から宮城へ会場を移して初めての開催。東日本大震災の発生で開催が危ぶまれたが、復興祈念大会として開かれて33チームが出場した。
富山県出身選手では8位に入賞した京セラのアンカーを古瀬麻美選手(南砺総合福野高OG)が務めた。15位・シスメックスの田中美里選手(富山商高OG)は5区で区間7位に健闘した。
■主催の毎日新聞社HP
http://mainichi.jp/enta/sports/general/news/20111219k0000m050040000c.html
■TBSの大会HP(見どころ、速報記録など)
http://www.tbs.co.jp/ekiden/index-j.html
五輪代表選考レースへ弾み/野尻選手
第一生命の野尻選手は「みんながたくさん貯金をしてくれたので気持ちよく走ることができた。ようやく優勝することができました」とほほ笑んだ。
各チームがエース級を投入する5区に起用されるのは3年連続。新コースではアップダウンがきつく、勝負を左右する区間とされていた。2位を18秒リードしてトップでたすきを受けると勢いよく飛び出す。推進力のある走りを持続して終盤もペースダウンなく駆け抜けた。区間順位は6位だったが、後続の順位変動を尻目に2位との差を27秒に広げた。
ロンドン五輪代表選考会となる来年1月29日の大阪国際女子マラソンに向けた練習過程でのレースでコンディションはベストには程遠かった。しかし、今大会では過去2年とも自らの区間で一旦は先頭に立ちながら逆転を許しており、「ただの通過点とみなすことはできなかった」と言う。山下佐知子監督は「野尻の調子が上がってこなければ、(1区で区間賞の)尾崎を5区に使わなければならないと考えていた」。状態を見極めて起用した監督の期待に応える走りで9年ぶりの優勝に貢献した。
野尻選手は「マラソンのための練習を続けながら駅伝で勝つことが目標でした。これで気分良くマラソンに向かうことができます」と話す。レースまで残り約40日となり、トレーニングはこれからがヤマ場だという。「オリンピックに出場するためには百パーセントの力を出さなければいけません。しかし、まずはスタートラインにわくわくした気持ちで立てるように準備したい。そのうえで結果がついてこればよいなと思っています」と語った。
被災地でみせた完勝劇/第一生命
第一生命の山下佐知子監督は「5、6年間ずっと優勝を狙ってきたのに果たせなかった。勝つ時はこんなものか、と感じた」。9年ぶり2度目の優勝はあっけなさを感じさせるほどの圧勝劇だった。キャプテンの勝又美咲選手も「まだ実感がわかない。第三者のような、鳥瞰図を見ているような…」と話した。
「3区の後半か、遅くとも5区の後半でトップに立てれば、と考えていた」(山下監督)が、1区でエース尾崎好美選手が競り合いながらトップでたすきを渡すと、2区に抜擢されたルーキーで19歳の横沢永奈選手が快走して独走態勢を築いた。レース前は昨年優勝の天満屋、豊田自動織機との3強が争うとの見方があったが、結果的には総合力で頭一つ抜けていた。山下監督は勝因を尋ねられ、「今年は練習の過程でわたしがあれこれと言う必要がなかった。控えのメンバーも含めて選手が自ら動いてくれた」と語った。
スタンドに陣取った応援団の人数も他チームを圧倒していた。東北各地から社員らが足を運んだという。チーム関係者は「震災で亡くなった社員もいる。勝つことができみなさんに喜んでもらえてよかった」と話した。レース後、スタンドでの優勝報告で4区を走った下門美春選手は「祖父が震災の影響で亡くなりました。この地で走ることができてよかった」。山下監督は「仙台総合支社を訪ねた際に3月11日以降の様子を聞き、中途半端なレースはできないと心に決めていた。選手、スタッフ、みなさんの応援があり、このようなレースができた」と話した。